ホツマツタエとは?瀬織津姫も登場する歴史書を解説

超古代文書であるホツマツタエは、日本書紀、古事記よりもさらに古い文献です。このホツマツタエは約12万文字にも及ぶ歴史書でもあり、今もなお謎を多く残している瀬織津姫も登場します。この記事では、ホツマツタエの系図や原文、歴史などについて解説いたします。

ホツマツタエとは?

ホツマツタエとは、天・地・人を3部により構成して綴られた約12万文字にも及ぶ、全40巻の書物です。

分列が、5・7調の長歌体で記されていることもあり、「あわのうた」もこのホツマツタエに記述されています。

ホツマツタエのホツマとは、漢訳すると「秀真」(ホツマ)、ツタエは「伝え・言い伝え」と訳され、ホツマツタエは、まことの中のまこと、真の言い伝えであるという意味で解釈されています。

また、ホツマツタエは偽書とされてはいますが、真偽は定かではありません。しかし、縄文後期中葉から弥生、古墳前期までの約1千年前の間の神々の歴史や文化、及び古事記や日本書紀には残されていない挿話、逸話がホツマツタエには多く記されています。

ヲシテ文字で書かれた歴史書

ホツマツタエは、ヲシテ文字を使って書かれた歴史書のひとつでもあります。

ヲシテ文字は、基本的に48文字から成り立つ文字であり、現在の五十音に対応しています。

古文書であるホツマツタエは、景行56年(第12代景行天皇の在任中)に三輪臣大直根子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって、編纂され献上された歴史書です。

また、景行天皇は、記紀伝説上の英雄でもある日本武尊(やまとたけるのみこと)の父であり天皇でもありました。

ホツマツタエを学ぶにあたり、古事記や日本書紀では理解できなかったことが解説されており、古代の日本の風習・習慣を知る古文書ともいえます。

ホツマツタエの原文

ホツマツタエの原文には、どのようなことが記されているのか、第一章の一紋一説を抜粋してご紹介します。

キツノナトホムシサルアヤ――「東西」の名と穂虫去る紋(綾 /文 /アヤ)より

ソレハワカ ワカヒメノカミ ステラレテ ヒロタトソダツ カナサキノ

(それ和歌は 和歌姫の神 捨てられて 捨(ひろ)たと育つ 金析命(カナサキノミコト)の)

ツマノチヲヱテ アウアウヤ テフチシホノメ ウマレヒハ カシミケソナエ タチマヒヤ

(妻の乳を得てアウアウや 手打ち潮の眼 生まれ日は 炊御食(カシミケ)供え 立舞ひや)

ミフユカミオキ ハツヒモチ アワノウヤマヒ モモニヒナ 

(三年冬(ミフユ)髪置き 初日・十五日 陰陽敬ひ 桃に雛) 

アヤメニチマキ タナハタヤ キククリイワヒ ヰトシフユ ヲハハカミキル

(菖蒲に粽(ちまき)棚幾や 菊栗祝ひ 五年(ヰトシ)冬 男(ヲ)は袴 着る)

メハカヅキ

(女(メ)は被衣(カヅキ))

コトバオナオス アワウタオ  ツネニオシヱテ アカハマナ イキヒミニウク

(言葉を直す アワ歌を 常に教ゑて アカハマナ イキヒミニウク) 

フヌㇺエケ ヘネメオコホノ モトソロヨ ヲテレセエツル スユンチリ シヰタラサヤワ

(フヌㇺエケ ヘネメオコホノ モトソロヨ ヲテレセエツル スユンチリ シヰタラサヤワ) 

アワノウタ アダガキウチテ ヒキウタフ オノツトコヱモ アキラカニ ヰクラㇺワタヲ

(アワの歌 葛垣琴打ちて 弾き歌う 自ずと声も 明らかに 五臓六腑(ヰくらむわた)緒)

ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコエ コレミノウチノ メグリヨク

(音声分け 二十四四十八(よそや)声 これ身の内の 循り良く)

ヤマヒアラネバ ナカタエリ スミヱノヲキナ コレオシル

(病あらねば 永らえて 住江(住吉/スミヱ)の翁 これを知る)

ホツマツタエの現代語訳

前項でのホツマツタエの抜粋箇所の現代語訳は以下のようになります。

そもそも和歌は、和歌姫が捨てられ、金析命(カナサキノミコト)に拾われて育てられたことから始まる話である。

和歌姫は金析命の妻の乳を飲み育ち、「アワワ」と言ったり手を打ったりと良い顔をした。

子供が生まれた日には、神に御神饌を供え親族に加わる儀式を行う。三年目の冬は、髪置きの儀(赤ん坊は三歳までは髪を剃っているがこの機に髪を伸ばすことができる)をする。

元日には餅を供えて、天地(アワ)の神を祭る。桃の花の季節には雛の祭りをして、菖蒲(アヤメ)の季節は、粽(ちまき)を備えて、夏は棚機の儀式を行い、秋には菊や栗を供えて祝うのだ。

五年目の冬には男の子は袴を着け、女の子は被衣(キヌカツギ)の儀式を行い、正しい言葉を学ぶよう常に、アワの歌を教える。

アカハマナ イキヒミニウクフヌㇺエケ ヘネメオコホノ モトソロヨ ヲテレセエツル スユンチリ シヰタラサヤワのアワの歌は、葛垣琴(カタガキ)を弾いて合わせて歌うと、自ずと言葉も良く覚え心身に音や言葉で二十四音が沁み入り、四十八音で身に着いて体内によく巡り、病気にならず長生きする。

住江の翁(金析命/カナサキ)は、これらについてよく知っていた。

ホツマツタエは偽書?その理由

学会や学者によると、ホツマツタエは偽書と見なされているため現代においての研究は、ほとんどされていないのが現状です。

ホツマツタエは、既に江戸時代から研究されており、内容は翻訳済みにも関わらず偽書と言われる理由の一つには、次のようなことが挙げられます。

ホツマツタエはヲシテ文字で記されている古文書ですが、日本には古来から続くような固有の文字は無いという観点から、この文字で書かれたホツマツタエは偽物であるという見方をしています。

また、古事記や日本書紀とは内容が異なったり、省かれていたりしている部分もあるという理由から、ホツマツタエの信憑性を疑う意見がありました。

しかし、古事記や日本書紀との内容は異なるものの、世界的にもレベルの高い日本の文明に古代の文字がなかったということは不自然であり、ホツマツタエこそ真の日本の歴史を記した文献であるという研究者もいます。

ホツマツタエと古事記・日本書紀の系図の違い

古事記や日本書紀の系図には、ホツマツタエに書かれている系図との違いがみられます。

ホツマツタエには、〇や△のような形をしたホツマ(秀真)文字で書かれた隣りに、漢文にて翻訳が記されていますが、古事記は変体漢文、日本書紀 は純漢文で記されています。

また、古事記や日本書紀に登場する、天照大御神(アマテラスオオミカミ)伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)は、ホツマツタエにも登場します。

しかし、古事記や日本書紀には記述がない瀬織津姫(セオリツヒメ)など、ホツマツタエには異なる部分が多々あることが以下の内容でもわかります。

瀬織津姫の登場

ホツマツタエには、瀬織津姫(瀬織津姫穂乃子/セオリツヒメホノコ)という神様が登場します。この瀬織津姫は謎が多く、その名をあらわす漢字も「瀬織津比売」や「瀬織津媛」など多くの呼び方があります。

また、瀬織津姫は、天照大御神の荒魂(あらみたま)やニギハヤヒの妻、弁財天など様々な神々と同一の存在と捉えられるなど、その正体は明らかになっていません。

そして、神道の祭祀に用いられる大祓詞(おおはらへのことば)の中に、四柱の祓戸の大神として一番先に出てくるのが瀬織津姫です。

瀬織津姫の後に、速秋津売(ハヤアキツヒメ)、気吹戸主(イブキドヌシノカミ)、速佐須良比売(ハヤサスライヒメ)の神々が穢れを祓う祝詞として順に唱えられます。

鎌倉時代から続いているといわれる、この大祓詞は、疫病や天変地異が起きた際に祓い清め、おさめるための祝詞であり、瀬織津姫の神格の高さが窺(うかが)えます。

人間に宿る罪穢れを、海や川の水の勢いにより清めることから、水の神、川の神ともいわれ、祓い清めの女神とされているのが瀬織津姫なのです。

天照大御神が男神

古事記や日本書紀では、天照大御神は女神とされていますが、ホツマツタエでは天照大御神は女神ではなく「アマテル」という男性神であったと記されています。

また、「アマテル」は伊邪那岐と伊邪那美の長男であり8代目の天皇でもあり、この男性神である「アマテル」の妻が瀬織津姫(瀬織津姫穂乃子/セオリツヒメホノコ)となっています。

豊受大神は天照大御神の祖父

ホツマツタエでは天照大御神の祖父は、豊受大神(とようけのおおかみ)と記されています。

しかし、古事記や日本書紀での豊受大神は、天照大御神の食事を司るトヨウケビメと呼ばれる女神として登場しています。

天照大御神は、伊邪那岐と伊邪那美の子供として誕生したことがホツマツタエでは描かれていますが、豊受大神は伊邪那美の父親であることから、繋がりからすると豊受大神は天照大御神の祖父ということになります。

女性的なイメージがある豊受大神ですが、伊勢神宮外宮にて祀られている豊受大神の祠は、屋根が男神の仕様となっており、古事記や日本書紀と比べ性別、系図までもが大きく異なっています。

ヒルコの存在

ホツマツタエでは、ヒルコ(昼子)という伊邪那岐と伊邪那美の子供の存在が描かれています。

古事記や日本書紀にもヒルコ(蛭子)は登場しますが、全く別の存在であることが次のことからわかります。

ヒルコ(蛭子)は、「ひ弱なる子」という意味で、三歳まで足腰が立たなかったことで不完全な存在であったことから、天碧豫船(アメイワノクスブネ)に乗せて流され捨てられてしまいます。

ホツマツタエでのヒルコ(昼子)は、同じく船で流されますが、伊邪那岐と伊邪那美のその年が陰陽の節に当たることから、子に汚穢、隈が障ることを避けるため天碧豫船(アメイワノクスブネ)に乗せて流されますが、カナサキ夫婦に拾われて、西殿にて育てられます。

このように、古事記や日本書紀のヒルコと、ホツマツタエのヒルコは語感は似ていますが同一の存在ではないことがわかります。

スサノオの名前の表記

スサノオの名前は、ホツマツタエと古事記や日本書紀とでは表記の違いがあります。

天照大御神に高天の原を追放されたスサノオは、ヤマタノオロチを倒しクシナダヒメ(イナダ姫)と結婚をした逸話は今も語り継がれています。

そのスサノオの表記は、古事記や日本書紀では「スサノオ」と表しますがホツマツタエでは「スサノヲ」と記述されています。これは、スサノオがソサ(紀州)で誕生したことに由来しているようです。

ホツマツタエについてまとめ

ホツマツタエは、古事記や日本書紀よりも古い歴史文献であるという説と、江戸時代に作られた偽書であり、偽物であるという説にわかれる書物です。

ホツマツタエには古事記や日本書紀のように、天地開闢(世界の始まり)から初代天皇である神武天皇を経て12代景行天皇までの56年までもの記述がなされています。

また、当時のしきたりや、あわのうたが作られた経緯、縄文哲学、宇宙と人との関係など古事記や日本書紀には曖昧な表現で記されていることが、ホツマツタエではありありと記されています。

今、私たちが触れる日本の歴史、神話がホツマツタエにより受け継がれたものであるのならば、原文や翻訳を更に深く理解し意味を知る事によって、ホツマツタエの魅力をより一層感じとることができるでしょう。

       
       
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