浮世とは?
浮世(うきよ)とは古典語の内の1つで、辛く悲しい世の中・ 悩み多き男女の仲・ 現世や俗世間・享楽的に過ごすこの世・遊里(遊郭のような場所)などのことをいいます。この浮世ですが、現在では一般的な呼び方が「うきよ」となっていますが「ふせい」という読み方も持つ言葉です。
別名
大抵の言葉は、1つの言葉につき別名も1つであることが多いです。しかし、浮世という言葉は、持っている意味が1つだけではありません。そのため、浮世が持つそれぞれの意味に対して別名が存在しています。
辛く悲しい世を示す浮世の別名は、「娑婆(しゃば)」、悩み多き男女の仲のを示す浮世の別名は「うき身・男女の仲らい・愛欲の境涯」、世や俗世を示している浮世の別名は、「世情(せじょう)」といったものです。
他にも、享楽的に過ごす世を示す浮世の別名は「放蕩・汚俗(おぞく)」で放蕩息子といった言葉を耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。遊里を示す浮世の場合は「花街・色町・色里」です。浮世としては日常会話でも言葉を使うことはそう多くありませんが、別名であれば日常やテレビや雑誌などで見かける言葉も多く含まれています。
対義語
浮世の対義語を一言でいうなれば「悟り」です。浮世という言葉は辛く悲しい世であったり、別名に娑婆という言葉が対応しているように、主に煩悩や苦しみが多い世界を表しています。そのため、一切の汚れのない極楽浄土や欣求浄土(ごんぐじょうど)といった仏教が目指す悟りの世界が、浮世の対義語です。
浮世の語源が由来
浮世の語源は、「憂世」が由来しています。今では浮世絵といった江戸時代に作られたものが浮世の言葉の付く名詞として有名ですが、浮世という言葉は、江戸時代以前には存在していないものです。江戸時代以前は浮世は「憂世」という言葉が使われおり、世の中の辛く苦しいことを「憂うべき世界」として用いていました。
しかし、戦国時代から江戸時代へと時代が移り変わり、平和な世の中が広がっていきます。そのことから、平和な世界は憂世ではなく、世が移り変わる姿から流転する世という意味が強くなり、浮世という世界観へと変化をしたのです。
仏教的厭世観の意味
仏教的厭世観(えんせいかん)とは、仏教用語で人生は不幸に満ちているというネガティブな考えや世界観のことをいいます。普段の生活で厭世観という言葉を使う期間は滅多にないので、仏教に精通している人でなければ聞き慣れない言葉でしょう。厭世観は仏教において、非常に重要な意味を持つ言葉です。なぜなら、お釈迦様が持っている厭世観から仏教は生まれました。
この厭世観を持っている人は、日々の生活に幸福を見いだせなくなり、ポジティブな態度が受入れられない状態といえます。そこに救いの手を差し伸べるのが、仏教です。仏教は、哀れみを感じた相手に対して救いの手を差し伸べます。お釈迦様に厭世観がなければ、この世に仏教も生まれてはいなかったといえますよ。
漢語の浮生の意味
浮世の由来には、仏教的厭世観の他にも漢語の浮生(ふせい)が関係しています。浮生とは、はかない人生や定めのない生き方という意味です。はかない人生や定めのない生き方は、煩悩や俗世間にまみれています。この浮生の意味から、享楽的や遊里の意味が加わって、「浮き世」と変化したと考えられるでしょう。