神仏習合とは?
仏教が日本に伝わった時、それまで神道のみを信じていた人々は大きな影響を受けました。国の宗教として受け入れるかどうかの対立を経験しながらも、生活の中で二つの宗教は時間をかけて融合していったのです。
またこれと同じ意味で神仏混淆(しんぶつこんこう)と表記することもあります。
神仏習合の歴史について
神仏習合には何年から始まったというようなはっきりした区切りはありません。神仏習合は神道を信じる人と仏教を信じる人が混在する中で、1000年以上の長い時間をかけて作られていった文化なのです。
朝鮮半島から正式に日本に仏教が伝えられたのは538年とされています。この時国内では仏教を国の宗教として受け入れるか、それとも日本では神道のみを信仰するものとして仏教を排除するかという対立が発生しました。
この対立は政治的争いに発展し、この争いで勝利を収めたのが、仏教の力で国を統治しようと考えていた聖徳太子を筆頭とする勢力です。
これ以降国内で本格的に仏教が根付き、それまで国民が信じていた神道と新しくもたらされた仏教の両方の信仰が混ざり合っていくことになります。
神仏習合はなぜ起こった?
異なる宗教同士が接すると、互いを排除し合い宗教戦争に発展する例が少なくありません。それだけ宗教は信じる人々にとって重要なもので、そう簡単に違う思想を受けれられるものではないことがわかります。
そんななか、日本ではなぜ異国の宗教である仏教と土着信仰の神道が混ざり合うことが出来たのでしょうか。
神道と仏教について
神仏習合の背景を知るためにはまずそれぞれがどのような宗教なのかを知る必要があります。はじめに仏教と神道の特徴について解説します。
【神道】
現在のような神道が出来上がるより以前の日本民族の間では、身の回りには八百万の神々がいると信じられていました。神は岩や海、川、草など自然界のありとあらゆるところに宿っていると考えられ、人々の生活の身近なところに神への畏敬の念がありました。
また自然に宿っている神々の名前や容姿ははっきりしておらず、目に見えない存在と考えられていました。当時人々にとって神は人智を超えた存在であり、目に見えない場所から人の力が及ばないところに影響を与えるものと信じられていたのです。
それから長い歴史の中で発展し天照大御神や須佐之男命をはじめとする、古事記や日本書紀に登場する神々を祀る宗教へと変化しました。更にその後も仏教や道教、陰陽五行説など様々な影響を受けながら変化を続けました。
現在知られている神道は江戸時代から始まった国学者らによる研究を通して明治期に確立されました。
【仏教】
仏教は紀元前5世紀ごろのインドで実在した人物・ゴータマ・シッダールタが開いた悟りをもとに形成されました。
仏教では人間の真の幸福を妨げる煩悩を克服し、悟りを得て仏になることを目的としています。ですが煩悩との向き合い方など詳細な教えの部分は宗派によって異なります。
インドで生まれた仏教は世界各地に伝わる中で様々な宗派に分かれており、日本に伝わっているものはそのなかでも大乗仏教と呼ばれる宗派の一部です。
神仏習合が起きた理由
日本でこれらが混ざり合い、神仏習合が起きた理由としては以下のような説が考えられています。
・仏教は他の宗教の教義を否定しない柔軟性を持っていた
・大乗仏教には人々を救済し、願いを叶えるという性格があり、その点で神道と相性が良かった
・当時日本よりも文明の進んでいた朝鮮半島から伝来した思想なので、時の朝廷はそれに抵抗できなかった
以上のような説が代表的ですが、はっきりした結論には至っていません。
また仏教の性格に関しては、日本に伝わる前からバラモン教やヒンドゥー教、道教などの異教の神を教義の中に取り込んでいく中で宗教としての柔軟性が培われたとも考えられます。
しかしながら同じく仏教が伝わった他の地域では民間信仰との習合を果たしていないことが多いため、やはり一概に仏教の柔軟性が決め手だったとは言い切れません。
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