草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とは
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とは、天照大御神の弟とされる素戔嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治した際に、ヤマタノオロチの尾から得た剣といわれています。古事記だけでなく日本書記にも記載されているヤマタノオロチ伝説にまつわる剣です。
三種の神器のひとつ
草薙の剣は、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と共に、三種の神器と呼ばれています。日本では弥生時代から鏡・剣・玉を権威の象徴する風習があり、天皇が皇位の璽(しるし)として扱うようになりました。
世界には様々なレガリア(王家の象徴)が継承されていますが、日本の三種の神器は世界で現存する最古のレガリアと非常に貴重な宝物です。
天皇家が持つ「〇〇」の象徴
草薙の剣は天皇家が持つ「武力」の象徴です。また、その形状からは荒魂を示しているともいわれます。
呼び名は他にも多数
三種の神器としては草薙の剣と呼ばれていますが、元々は違う名前であり、別名を多く持つ剣でもあります。その別名の一部は、以下の通りです。
- 草那藝之大刀(くさなぎのたち)
- 都牟刈太刀(つむがりのたち)
- 八重垣剣(やえがきのつるぎ)
- 都牟羽太刀(つむはのたち)
- 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
- 倶娑那伎能都留伎(くさなぎのつるぎ)
- 沓薙剣(くつなぎのけん)
- 草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)
その中でも、最も有名といえる名が「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」です。これは、草薙の剣の最初の名前でもあります。素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治した後に、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と命名しました。
素戔嗚尊がヤマタノオロチを討伐した際、ヤマタノオロチの頭上には雲がかかっていたことから、天叢雲剣と名付けたそうです。
草薙の剣の由来
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が草薙の剣と呼ばれるようになったのは、日本武尊(やまとたける)の東征に由来しています。まだ日本が一つの国として成立していなかった頃、日本武尊は当時の政府に反対する勢力である蝦夷(えみし)がいる関東への遠征を命じられました。
その際、自分の叔母である倭姫命(やまとひめ)に会いに行きます。そこで日本武尊は草薙の剣を授かりました。日本武尊の東征は結果として無事に終わりましたが、道中は厳しい試練の連続です。東征の道中、敵に騙された日本武尊は草原に誘導され火を放たれます。
絶体絶命のピンチに陥りますが、叔母から授かった草薙の剣で周りの燃え盛る草を薙ぎ払って鎮火し、ピンチを乗り越えたことから、日本武尊によって天叢雲剣は草薙の剣と命名されたのです。