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八瀬童子とは?天皇との関係が強く、鬼の子孫とされた人々を解説

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八瀬童子とは?

八瀬童子とは

八瀬童子(やせどうじ)とは、比叡山のふもと、京都府の八瀬に暮らす人々の古くからの呼び名です。「童子」という言葉から子どもを連想させますが、子どものことではありません。

八瀬童子は薪や炭を作り、それを売って生計を立て、同時に比叡山延暦寺の雑役や、天台座主の輿を担ぐ駕輿丁(かよちょう)と呼ばれる役に就いていました。室町時代以降は朝廷の儀式などで駕輿丁を務め、天皇の輿を担ぐ任に就いていました。

寺で働く者は髪をおろした状態の大童(おおわらわ)と言われる姿であったこと、履物が草履で子どものように見えることから、八瀬童子と呼ばれるようになりました。

ポイント

  •  八瀬童子は比叡山延暦寺に属して働き、室町時代以降は天皇の駕輿丁を務めてきました。
  •  大童の姿で草履を履いていたことから、八瀬童子と呼ばれるようになりました。

八瀬童子が「鬼の子孫」とされる理由

鬼の子孫

なぜ、八瀬童子が鬼の子孫と呼ばれるようになったのでしょうか。

八瀬童子は天台宗の開祖である最澄が使役していた鬼の子孫である、という伝説があり、八瀬の人々も自分たちは鬼の子孫であると語っています。

童子というのは、子どもや普通の人とは違う存在に対しての呼び方でもあり、有名な「酒呑童子」「茨木童子」といった鬼の名前でも使われています。

八瀬で暮らす人々は縄文時代から続く山の民だった、とする説もあり、里で暮らす農民とは、習慣や言葉などが違う特異な存在であったとも言われています。

鬼を「恐ろしいもの」ととらえる一方、「強い力を持つ人智を超えた存在」とするほか、先住民族や異民族を「鬼」と呼ぶことがありました。里の人々が、自分たちとはどこか違う山の民を「鬼」と呼んでいたとも考えられます。

ポイント

  • 八瀬童子は山に住む山の民でした。
  • 里で暮らす人々との習慣や言葉の違いから、特異な存在である「鬼」と呼ばれていたと考えられます。
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天照大御神

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