祝詞を唱えること自体が尊いことなので、あまり形式ばったことに囚われる必要はないのですが、一般的には朝・昼・夕に一日3回ひふみ祝詞を唱えるとよいとされています。ひふみ祝詞を唱えると強力な浄化のパワーで、穢れを祓うことができます。
ひふみ祝詞を唱える習慣を生活に取り入れるといろいろなことが徐々に改善されていくでしょう。
ひふみ祝詞と石上神宮
ひふみ祝詞は、現在も公の場所で実際に唱えられているのでしょうか?奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮。ここでは、「ひふみ祝詞」の一種「ひふみ祓詞(はらえことば)」がお祓いの言葉として、神事の前に唱えられています。
石上神宮で唱えられる祝詞
ひふみ祓詞は、ひふみ祝詞と同じ、47文字でその並ぶ順番も全く同じです。
石上神宮では、ひふみ祓詞とともに、「布留の言(ふるのこと)」という祝詞が唱えられます。
「布留の言」
ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ
この祝詞には十種神宝(とくさのかんだから)という、饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様がが地上に降りられるとき、天の神から授けられた十種類の神宝のパワーが宿るといわれています。
死者をよみがえらすパワー
『先代旧事本紀』には、ひふみ祓詞と布留の言を唱え、十種神宝を振り動かすことで、死者を蘇らせることができると伝えられています。
この布留の言と十種神宝を用いて、神武天皇の長寿を祈ったことが、宮中における鎮魂祭の起源になったとされています。
ちなみに十種神宝とは以下の10種類です。
十種神宝
- ①沖津鏡(おきつかがみ)
- ②辺津鏡(へつかがみ)
- ③八握剣(やつかのつるぎ)
- ④生玉(いくたま)
- ⑤足玉(たるたま)
- ⑥死返玉(まかるかへしのたま)
- ⑦道返玉(ちかへしのたま)
- ⑧蛇比礼(へびのひれ)
- ⑨蜂比礼(はちのひれ)
- ⑩品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)
石上神宮は物部氏の氏神
ひふみ祓詞について触れたところで、石上神宮のルーツについて少し解説しましょう。
日本ではかつて、仏教伝来で天皇家を二分する大きな争いがあったことをご存知でしょうか?「蘇我入鹿」「蘇我馬子」「物部守屋」といえば、仏教推進をめぐって天皇を巻き込んだ大きな争いを犯してしまった人たちです。
「物部氏」と「蘇我氏」については歴史の授業でもおなじみですよね。物部氏は古代朝廷で軍事を扱う豪族でした。
さて、仏教の伝来を巡った争いに敗れた物部氏ですが、祖先は「饒速日命」(ニギハヤヒ、ニギハヤヒノミコト)で、初代天皇の神武天皇より前に大和の地に入ったとされています。
そして、その物部氏の氏神としてまつられていた神社こそが石上神宮なのです。
石上神宮は、大和盆地にあり、回りは古墳が密集しているまさに”霊的な場所”です。ここは伝説と神秘のロケーションだけでなく、歴史上最もエピソードの多い天皇のひとり、白河天皇(平安時代後期)が崇拝崇敬されたことでも知られています。この白河天皇は天皇在位後44年にわたって法皇の地位にあった人物ですが、永保元年(1081)宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものが”石上神宮の拝殿”とのこと。
物部氏の祖先が神であるならば、天皇としてもその力に感ずることは多かったのかもしれません。となれば、日本最古といわれるこの神宮のパワーは計り知れないものがあります。健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就といった効果のある守護神として信仰されてきた石上神宮の御霊。その神事で永年使われているのが「ひふみ祓詞」なのです。
ポイント
- 石上神宮は物部氏の総氏神
- ひふみ祝詞(ひふみ祓詞)は、石上神宮で永年奏上されてきた
ひふみ祝詞を唱え始めたのは誰?
さて、この「ひふみ祝詞」いったい誰が唱え始めたのでしょうか?
一説には、花山天皇(968〜1008年)の子孫である白川家が受け継いだ神道「伯家神道」が採用していた祝詞が「ひふみ祝詞」だ、といいます。ひふみ祝詞の祝詞ですが、これはもともと神前で斎主が奏上する詞のこと。そして、伯家神道は天皇に古来の伝統を伝授する役割があったため、ひふみ祝詞が神聖視されてきたのはいうまでもないでしょう。
ひふみ祝詞を生活に取り入れよう
ひふみ祝詞について理解していただけたでしょうか?
ひふみ祝詞のルーツをを知ることが、日本という国の成り立ちを知ることでもあります。ひふみ祝詞について学び、深く理解したうえで唱えることで、日本人のDNAに秘められた力を呼び覚ますことができるのかもしれません。
実際に格式高い石上神宮ではお祓いの言葉として取り入れられていますので、唱えることで、強い浄化のパワーを得られることには説得力があります。
まずは一日3回、ひふみ祝詞を唱える生活を始めてみてはいかがでしょう。


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