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惟神の道(かんながらのみち)とは?神道でよく用いられる言葉の意味を解説

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惟神の道の由来

惟神の道の由来 本居宣長

惟神の道の由来:日本書紀

『惟神』という言葉の由来は、孝徳天皇(596-654年、第36代)の詔(みことのり=言葉)として日本書紀の記述に見いだすことができます。

「惟神(惟神は神道(かみのみち)に随(したが)ふを謂(い)ふ。亦(また)自(おの)づからに神道有るを謂ふ。)も我が子治らさむと故(こと)寄させき。」

 

という文章があり、意味は
「神意により、皇孫にこの国を治めよとおっしゃられた」と解釈されます。

  

さらに『惟神』とは

「惟神とは神の道に従うことを言う、また天皇自ら神道の存在を仰せになった」とあります。

ちなみに孝徳天皇は、姉の皇極天皇から譲位を打診され、断りきれずに天皇に就いた人物。日本で始めての元号「大化」を採用するなど、歴史に名を残しています。実務は甥(姉の子)の中大兄皇子(のちの天智天皇)が掌握、宮中では次第に蚊帳の外に置かれてしまいました。

孝徳天皇の詔は、もしかすると宮中で孤独、無念だった自分の思いを「神意」に従うことで奮い立たせようとしていたのかもしれません。

惟神の道を発展させた:古事記伝

もうひとつの由来は、江戸時代中期の国学者「本居宣長」(1730-1801年)。彼が35年の年月を費やした大作『古事記伝』は、日本書紀と比較して古事記に書かれる「古代日本人の生き方や考え方」を研究しています。

宣長によれば、『惟神の道』とは、日本古代が神意のまま天皇が国を治め、平和が保たれていた理想的な世界を指します。日神天照大神を祖神として、神意のままに統治された日本では人々は真心に生き、神を畏敬し素直に目の前の現実に向き合った暮らしを続けることが『惟神の道』。

惟神の道を武術に取り入れた:合気道

『惟神の道』の由来を実践した武道というものもあります。

大正末期から昭和にかけて作られた「合気道」は、相手に傷を負わせることなく降参させる護身術であり、その根本は『惟神の道』そのものです。

合気道創始者の植芝盛平(1883-1969年)は多くの短歌を残していますが、そのなかにこんな一首があります。

かんながら赤白玉やますみ玉合気の道は小戸の神技

かんながら練り上りたる御剣はすめよ光れよ神の恵みに
 

ポイント

  • 『惟神の道』の由来は「日本書紀」にある孝徳天皇の詔。
  • 『惟神の道』を発展させた、江戸時代中期の国学者本居宣長。「古事記」の研究から『惟神の道』を日本人の生き方の根本と捉えました。
  • 『惟神の道』とは、日本神話の世界や、古代天皇の治める理想の国の形といったものだけではなく、複雑な今の世の中でも十分役立つ「生き方」「考え方」の基本となるのです。

惟神の道は日本人の心

『惟神の道』は、「八百万の神様がおいでになる」と言われる日本の文化の支柱。

自然を大切にし、先祖を敬い、日々与えられた境遇で努力を重ねて、結果は素直に受け入れる、すべては自然(神)の赴くまま神意に導かれて真心で生きて行くのが『惟神の道』です。

孝徳天皇の詔の裏には、いかなる境遇に逆らわずに生きることが『惟神の道』であると理解できますし、本居宣長は著書「古事記伝」によって「日本人とは何か」という文化人類学的な視点で『惟神の道』を発見しています。

惟神の道は、日本のあらゆるモノに息づいています。日々生きて行く私たちにとって、惟神の道を意識することは人生に大きな息吹を与えることになるでしょう。

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天照大御神

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