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鬼丸国綱とは?天下五剣の一つとされる名刀について逸話・由来を含め解説!

目次

鬼丸国綱とは?

鬼丸国綱は、御物として皇室で所有・保管されている名刀です。そんな鬼丸国綱の読み方や作者、由来となる逸話について解説します。

読み方

鬼丸国綱のサイズや特徴などについて紹介します。

鬼丸(おにまる)刀の通称や別名、ニックネームのようなもの
国綱(くにつな)刀の作者や年月
刃長二尺五寸八分(約78.2cm)鋒(きっさき)先端から棟区(むねまち)を直線で結んだ長さのこと
反り一寸一分(約3.2cm)鋒(きっさき)先端から棟区(むねまち)を直線で結んだ線と棟(もしくは峰)の長さが最も離れている所の長さのこと
  • 輪反り呼ばれる大きく反った刃
  • 室町時代に施されたとされる革包太刀拵(柄と鞘全体を馬や鹿の革で包んだ太刀拵)が現在もそのままの姿で残っている
  • 棟部分は屋根のような形になっている庵棟
  • 刃と棟との間で気持ち棟よりに鎬が付けられた鎬作り
  • 鋒から10cm程の所にあたる物打ち部分に一カ所刃が欠けた部分あり

作者

「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」の作者は、粟田口国綱(あわたぐちくにつな)、本名 林藤六郎です。粟田口派は、鎌倉時代の頃から栄えていた刀工で、中でも粟田口六兄弟は優れた刀工として知られています。粟田口国綱は、六兄弟の六男です。

後鳥羽上皇の御番鍛冶、隠岐国番鍛冶を努め左近将監国綱(さこんしょうげんくにつな)と名乗っていました。

鬼丸国綱は天下五剣の一つ

鬼丸国綱は天下五剣のひとつとして知られています。天下五剣とは、様々ある日本刀の中でもとりわけ優れており魅力ある刀として知られている五口(ごふり・振りとも書く)のことをいいます。

天下五剣は、明治以降に用いられるようになった名称だとされています。天下五剣は、室町時代の頃から優れた刀として知られていたようですが、刀剣古書籍や亨保名物帳(徳川幕府八代将軍吉宗が世間的に有名な名刀250口をまとめ掲載した台帳のこと)にも、天下五剣としての記載はなかったそうです。

ここで、天下五剣を紹介します。
 

 読み方作者所蔵指定
童子切安綱どうじぎりやすつな・どうじきりやすつな伯耆安綱(ほうきやすつな)東京国立博物館国宝
鬼丸国綱おにまるくにつな粟田口国綱(あわたぐちくにつな)皇室御物
大典太光世おおでんたみつよ三池典太光代(みついけてんたみつよ)前田育徳会国宝
三日月宗近みいかづきむねちか三条宗近(さんじょうむねちか)東京国立博物館国宝
数珠丸恒次じゅじゅまるつねつぐ青江恒次(あおえつねつぐ)本興寺重要文化財

鬼丸国綱が名刀とされる由来と逸話

鬼丸国綱は、正式名を「太刀銘国綱附革包太刀拵(たちめいくにつなつけたりかわづつみたちこしらえ)」といいます。その太刀が「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」や「鬼丸(おにまる)」と呼ばれるようになった逸話を紹介します。

『太平記』に記されている逸話

「鬼丸国綱」にまつわる逸話は、太平記にまとめられています。

鎌倉時代初期に執権だった北条時政は、枕元に現れる子鬼に悩まされていました。お祓いや祈祷で夜毎に現れる子鬼から逃れようとしましたが、効果がなく、北条時政は衰弱し病にかかってしまいます。

ある晩、北条時政の夢に老翁が現われ、次のことを伝えました。

  • 己は太刀銘国綱附革包太刀拵の化身であること
  • 主である北条時政を救うべく小鬼を懲らしめたいが、刀身が錆びており、鞘から抜け出せないこと
  • 小鬼を退治して欲しければ清らかで汚れ無き心と体で己と向き合い、己についた錆を取り除くこと

目が覚めた北条時政は、老翁が言うように、太刀銘国綱附革包太刀拵の錆を取り除き、鞘には戻さず室内の柱に立てかけておきました。

誰かが触れたわけでも、風が吹いたわけでもないのに、柱に立てかけられていた太刀銘国綱附革包太刀拵が倒れ、その拍子に、小鬼の姿をあしらった飾りがついている銀の小鉢を切り落としました。それは、ちょうど小鬼の首を斬首した状態でした。その後、北条時政の枕元に小鬼が表れなくなり、病も回復していきました。

北条時政は、大変喜びし、太刀銘国綱附革包太刀拵を「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」や「鬼丸(おにまる)」と呼び北条家の宝として後世まで大切にしたそうです。 

鬼丸国綱の来歴

鬼丸国綱の最初の持ち主は、北条時頼です。

 

執権名前期間享年
第五代北条時頼(ほうじょうときより)10年8ヶ月37歳
第六代北条長時(ほうじょうながとき)7年7ヶ月35歳
第七代北条政村(ほうじょうまさむら)3年7ヶ月69歳
第八代北条時宗(ほうじょうときむね)16年1ヶ月34歳
第九代北条貞時(ほうじょうさだとき)17年4ヶ月40歳
第十代北条師時(ほうじょうもろとき)10年1ヶ月37歳
第十一代北条宗宣(ほうじょうむねのぶ)8ヶ月54歳
第十二代北条煕時(ほうじょうひろとき)3年1ヶ月37歳
第十三代北条基時(ほうじょうもととき)1年48歳
第十四代北条高時(ほうじょうたかとき)9年7ヶ月31歳

第五代北条時頼の時代の後、いつの頃か北条家の一族の名越家に「鬼丸国綱」は移ります。そして、名越高家(北条高家)が戦いにて討ち死にした後、第十四代執権・北条高時の手に渡ります。

北条家の手を離れた後

北条高時は、新田義貞との戦いに敗れ自害。新田義貞が鬼丸国綱の主となる

5年後、新田義貞は戦いに敗れ、足利髙経(斯波高経)に渡る

足利家の家宝として大切に保管

足利義昭から豊臣秀吉へ献上される
(足利義昭から織田信長、織田信長から豊臣秀吉に渡ったという説もある)

豊臣秀吉は刀や剣の検定や研磨などを生業とする本阿弥家へ預ける

その後、徳川家の持ち物となるが、そのまま本阿弥家で預かる

後水尾天皇に皇子が誕生した際に献上されるが、皇子が亡くなったため不吉な刀として、本阿弥家に返却される

明治に入り,御物として皇室所蔵となる

この一覧からも分かるように、鬼丸国綱は御物として皇室所属になるまでに、多くの主に使えることになったのでした。

天照大御神

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