先ほども見たように、「ミコト」は神話に登場する英雄などの名前の後ろにつけられる尊称のことです。
『縮刷版神道辞典』(國學院大學日本文化研究所/弘文堂/1999)によれば、「ミコト」とは本来「御言」、つまり「神々のお告げ」を意味するもので、それが転じて「神々の言葉を受けた尊い人」という意味になったとされています。
そして気になる「スメラ」の方ですが、ひとまず先ほどご紹介した『日本語源大辞典』に掲載されている「統べる」が転訛したものという意味を考慮してみましょう。すると、「スメラミコト」とは「日本を統べる(支配する)ように神々よりいいつかったお方」という意味になります。
より簡単に言い換えれば、「神々から日本全土の統治をまかせられた方」ということです。
いつからスメラミコトと呼ばれた?
スメラミコトは古墳の時代から使われていたのか?
最初に見たように漢字で「天皇」と書いて「スメラミコト」と読むのは7世紀後半から8世紀の律令体制の成立期には確立していました。
そうなると、7世紀後半よりも前、つまり聖徳太子の時代よりも前(6世紀後半から7世紀前半)はどうだったのか気になりますが、残念ながら、この頃の日本人は政治についてもほとんど会話によって行っていたことから、現状では物的証拠はほぼ望めないといって良いでしょう。
このようにスメラミコトという呼び方がいつから使われていたのかは、今のところほとんどわかっていません。
ただし、皆さんも歴史の教科書で学んだように、日本では卑弥呼の時代のあたりから国家というものができ始め、各地で有力者が古墳をつくるようになった後で、いわゆる大和朝廷が全国を支配するようになっていきます。
そして確かなのは、その大和朝廷の最高権力者として君臨したのが、スメラミコトと呼ばれる存在であったということです。
スメラミコトについてまとめ
スメラミコトと呼ばれた人物の血筋は今もなお続いている
スメラミコトとは、古代日本における天皇に対する呼び方のことで、意味としては「神々から日本の統治をまかされたお方」ということになります。
7世紀から8世紀にかけて律令国家が成立したころには「天皇」と書いてスメラミコトと呼ぶことが一般的でしたが、実際にスメラミコトの由来やいつごろからそういう呼ばれ方をするようになったのかは、由来に関してはさまざまな説が提示されているもののいまだに知られておらず、古代史の大きな謎の1つに数えられるといっても良いでしょう。
ただし、神々から日本の統治をまかされたとされる人物の末裔が今でも実在していることが、日本人にとって天皇という存在に特別な思いを持たせているといえます。
退位問題など皇室にまつわる話題は非常に多いですが、スメラミコトの意味をかみしめながら皇室関係のニュースを見てみると、天皇や皇室に対する見方がまた変わってくるでしょう。
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