笏とは?
笏とは神職が神事の際に右手に持つ、細長い長方形の薄板(木製)です。
使用する木の種類については明確な決まりがありませんが、今日までに主な型ができています。その具体的な木の名前はいくつかあり、檜(ひのき)・榊(さかき)・桜・柊(ひいらぎ)・櫟(いちい)・椎(しい)・福良(ふくら)・杉・樫(かし)です。しかし現代の神職においては紫檀や黒檀で作られたものを使うこともあります。
なかでも古くから彼らに最も好まれた笏の用材は、飛騨国(当時の岐阜県北部)の一宮水無神社の境内にあった位山に繁殖する櫟です。この山で採れた櫟の木から作られた笏は、縁起もの、かつ珍しいものであるとして大切にされてきました。
読み方
笏の読み方は「しゃく」です。
笏は本来「こつ」と読みますが、音が「骨」に通ずることからこれを避けるために「しゃく」と呼ぶようになりました。また、笏の長さがおよそ一尺であることにも由来しています。
ちなみに時代によって笏の長さや形には違いがあり、現代においても特に決まりはないようです。しかし、天皇が通常使われる御笏(おんしゃく)は上下の縁をどちらも四角形(ただし神事の時のみ上円下方)とし、臣下が使う笏は上下とも丸みを帯びたものとする(ただし儀式によっては上円下方を用いることもある)とされてきました。
現在の神職が使用している笏は、ほぼ一律に「上が広くて下が狭く、反りはなく平らで真直ぐなもの」が正式な形です。
笏の由来・歴史
笏の発祥は、中国の前漢時代に著された淮南子という思想書にあります。この書物に「周の武王の時代、殺伐とした気風を改めるため武王が臣下の帯剣を廃し、その代わりに笏を持たしめた」と記されており、これが笏の起源といわれています。笏が中国から日本にいつ伝わったのかは、未だ詳細が分かっていません。
しかし、2つの推定時期があり、1つは日本において公式で伝えられているものです。
1つ目の推定時期は、推古天皇の御代に六色十二階の冠制が制定された頃(603年頃)です。聖徳太子や小野妹子(おののいもこ)らの笏を持って描かれている絵画は現時点において最も古いとされており、この時期に日本でも笏が使われるようになったのではないかと推定されています。
2つ目の推定時期は、大宝律令が発布された頃(701年頃)で、これが日本において公式に明文化されて言い伝えられています。笏を使用することが国の制度として決まったのが、推古天皇の御代から約1世紀後の文武天皇の御代に成立した大宝令からで、日本の笏の起源とされています。
神職が笏を用いた歴史
- 神職が笏を持つのは何のため?
- 笏の持ち方や作法
神職が笏を持つのは何のため?
笏を持つ理由は「神社祭式行事作法教範」によると、便宜のため・道理を立つるための2つがあります。
それぞれの使い方をご紹介します。
【「便宜のため」の具体例】
- メモ用紙を張り付ける(儀式などに参加した際に複雑な作法を忘れないように備忘の紙(笏紙)にメモ書きをすることがあり、これを内側に貼り付けるため)
- 老人が参拝した際に必要であれば笏を杖として利用させる
- 夜間などの真っ暗な中で他者と擦れ違う際に笏を鳴らして揖(お辞儀)の代わりとする
- 文書などを笏に取り添えて持つ
- 修祓の際に大麻の代わりとする
【「道理を立つるため」の具体例】
笏が真っ直ぐに伸びた姿であるため、これになっています。
- 自分自身の姿勢を正しくする
- 身だしなみ・威儀を整える
- 心の歪を正す
- 敬意の篭った敬礼作法
しかし、現代の神職においては笏を「便宜のために用いること」は極めて少なく、ほとんどが「道理を立つるため」という意味で用いています。
笏をもっている歴史人物の画像
笏をもっている歴史人物の画像を3名ご紹介します。
どちらも現代の神職とは違う持ち方をしているところが見どころです。
また、笏を持つ人は基本的に束帯と呼ばれる天皇以下武家の正装を着用していることも見受けられます。
笏をもっている歴史人物①:聖徳太子
笏を持っている歴史上の人物の一人目は、聖徳太子です。
彼は574年2月7日に用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の間に第二皇子として誕生しました。
推古天皇の摂政就任や身分ではなく実力で人事登用する制度の冠位十二階の制定、17条の憲法の制定や小野妹子を遣隋使派遣を行うなど歴史的にもとても有名な人物です。
笏をもっている歴史人物②:おじゃる丸
笏を持っている歴史上の人物の一人目は、おじゃる丸です。
おじゃる丸とは、1998年に放送開始されたNHK初のデジタル制作アニメの主人公です。彼は1000年前(平安時代)から来たヘイアンチョウ妖精界の貴族の子で、自らを「やんごとなき雅なお子様」といいます。月光町という現代の町の男の子カズマの家に居候をしているものの、こちらに来る際に閻魔大王様の笏を持ってきてしまったのです。
それを取り返すために閻魔大王様の子分である小鬼トリオ(アオベエ、アカネ、キスケ)がやってきて、物語が繰り広げられます。
笏をもっている歴史人物②:源実朝
笏を持っている歴史上の人物の三人目は、源実朝です。
彼は1192年9月17日に源頼朝と北条政子の間に第二皇子として誕生しました。
体調を崩していた兄の頼家について、「頼家が重病のため、あとは6歳の長男の一幡が継ぎ、日本国総守護と関東28ヶ国の総地頭となり、12歳の弟の千幡(実朝の幼名)には関西38ヶ国の総地頭を譲ると発表された。しかし千幡に譲られる事に不満を抱いた能員が、千幡と北条氏討伐を企てた」との報告が都に届き、彼の征夷大将軍任命が要請されました。
兄の頼朝は体調回復した後にこの知らせを聞きつけ、自らの意思での報告がなされていないことに怒りましたが母政子に押さえつけられ、修繕寺に幽閉されます。これにより12歳で征夷大将軍に就任し、武士として初めての官位「右大臣」を任命されるなど仕事がよくできるともいわれていました。しかし、1219年2月、このような経緯をよく思わなかった頼家の子の公暁に暗殺されました。
笏とは?神職が持つ木の板について知ろうまとめ
- 笏とは神職が神事の際に持つ、細長い長方形の薄板(木製)である。
- 笏の使い方には決まりがない。
- 笏の発祥は、中国の前漢時代に著された淮南子という思想書にある。