六歌仙が詠んだ歌はどんな歌?
六歌仙たちが詠んだ歌とは実際にどんな歌なのか、解説していきます。人物までは把握していなかった人も、歌を知れば合点がいく人も少なくありません。
僧正遍照(そうじょう へんじょう)の歌
僧正遍照(そうじょうへんじょう)が詠んだ歌は、百人一首の12番・古今和歌集(雑上872)に掲載されています。
- 歌:歌天つ風(あまつかぜ)、雲の通ひ路(かよいじ)吹きとぢよ。をとめの姿しばしとどめむ
- 訳:天の風よ、雲の通り道を吹き閉ざしてくれ。乙女の舞い姿を、もうしばらく地上にとどめておきたい
若年に僧正遍照が、「五節の舞」(宮中行事で行われてた踊り)を観て詠んだ歌です。僧正遍照が、天女の姿を模して踊っている人の姿を非常に美しく感じたことが覗えます。
在原業平(ありわらのなりひら)の歌
在原業平(ありわらのなりひら)が詠んだ歌は、百人一首の17番・古今和歌集(秋294)に掲載されています。
- 歌:千早(ちはや)ぶる、神代(かみよ)もきかず龍田川(たつたがわ)。からくれなゐに水くくるとは
- 訳:不思議なことが起こっていたという神々の時代のことですら、聞いたことがないことだ。龍田川が紅葉で水を真っ赤にしぼり染めされているとは。
実際に、龍田川は現在の奈良にある紅葉の名所としても知られる川です。しかし、この歌は実際の風景を見て詠んだものではなく、元恋人の高子姫にいわれて、屏風に描かれた龍田川を見て在原業平が詠んだといわれています。
文屋康秀(ふんやのやすひで)の歌
文屋康秀(ふんやのやすひで)の歌は、百人一首の22番・古今和歌集(秋下249)に掲載されています。
- 歌:吹くからに、秋の草木(くさき)のしをるれば。むべ山風を嵐といふらむ
- 訳:秋に山風が吹くと秋の草木がたちまちしおれるので、なるほどその山風を嵐(荒らし)というのだろう。
「嵐」という漢字は、「山」と「風」の文字で成り立っています。そのことを面白がって詠んだ歌です。まるで落語のような和歌と言えるでしょう。
喜撰法師(きせんほうし)の歌
喜撰法師(きせんほうし)の歌は、百人一首の8番・古今和歌集(雑下983)に掲載されています。
- 歌:わが庵(いほ)は、都のたつみしかぞすむ。世をうぢ山と人はいふなり
- 訳:私の庵は都の東南にあり、このように心静かに暮らしている。私が世を憂いて宇治山(憂し山)に逃げて引きこもったと、世間の人は言っているようだが
喜撰法師の詳細はわかっていませんが、都を離れて宇治山に隠棲したといわれています。そこで、喜撰法師の元を訪ねた友人に「どうしてそんなに世間から離れて暮らすのか、世間が辛くなったのか」と聞かれたときにした返事として詠んだといわれているのが、この歌です。
小野小町(おののこまち)の歌
小野小町(おののこまち)の歌は、百人一首の9番・古今和歌集(春下113)に掲載されています。
- 歌:花の色はうつりにけりないたづらに。わが身世にふるながめせしまに
- 訳:桜の花の色はむなしく色あせてしまったな。春の長雨が降っていた間に
自分の体が衰えていくことを、花の色があせていくことと重ねて詠んだ歌です。「ながめ」は長雨・眺め、「ふる」は降る・(年を)経るという、二重の意味が込められています。
大友黒主(おおとものくろぬし)の歌
大友黒主(おおとものくろぬし)の歌は、古今和歌集(88)に掲載されています。
- 歌:春雨のふるは涙か桜花ちるを。惜しまぬ人しなければ
- 訳:春の雨は(人、もしくは天の)涙だろうか。桜の花が散るのを惜しまない人などいないのですから
六歌仙の中で、大友黒主のみ百人一首に和歌が掲載されませんでした。
六歌仙なのに百人一首に選ばれなかった?
六歌仙の内の1人ではあるのですが、残念ながら大友黒主(おおとものくろぬし)のみ、藤原定家による「小倉百人一首」に選ばれることがありませんでした。勅撰集である後撰集・拾遺集にも大友黒主の歌は掲載されているため、実力は申し分のない歌人です。
しかし、小倉百人一首は、帝の命令によって選ぶ勅撰和歌集を作る時よりも、しがらみなく定家の自由に選ぶことのできたものであったため、雰囲気で選ばれなかったと考えられます。


