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ケツァルコアトルとは?アステカ神話の文化神について知ろう

目次

アステカ文明の恐ろしい儀式と生贄について

アステカ人は、神々から恩恵を受けるために、人々を虐殺し、生贄にしました。

当時、アステカでは太陽が滅亡しないように、太陽の神様には、生きた人間をささげないといけないと考えていました。

ピラミッドの屋上で、生贄にした男の胸を、黒曜石の刃物で切り裂き、生きたままその心臓を取り出して、「テスカトリポカの祭り」と称して太陽神に命をささげる祭りが催されていたといいます。

テスカトリポカの祭りは毎年行われ、その犠牲者の肉は、儀式が終わると貴族たちに食されていました。

人身供犠をやめさせようとしたケツァルコアトル

当時から、この儀式に不満を抱いていた人もいたようで、対立する考えの神も崇められていました。その神がケツァルコアトルです。

ケツァルコアトルはアステカ文明の人身供犠に反対し、やめさせようとしました。

ところが、そのことで人身供犠を好む神テスカトリポカの恨みをかってしまいます。そしてアステカの地を追放されてしまうのですが、このとき、罠として用意されていた、呪いのかかった酒「プルケ」を飲んでしまいます。

そして、ひどく混乱したケツァルコアトルは、自らの妹であるケツァル・トラトルと肉体関係を結んでしまったといいます。そのことを咎められ、アステカを追い出されるのです。

呪いの酒「プルケ」を飲んだ後のケツァルコアトルの行動の言い伝え

  • 自分の宮殿を焼き払い、財宝を埋めた後自ら生贄となった。
  • 金星に姿を変えて天に逃れたことから、金星の神とも言われるようになった。
  • 財宝を埋めた後に、「自分は一の葦の年に帰ってくる」という予言を残し、火葬された灰が何羽もの美しい鳥となって空へ舞い上がり、虹の彼方に消えていった。

果たして本当に史実があったのか?

しかしこの逸話は、10世紀頃に「ケツァル・コアトル」という実在した王が、人心供犠に反対運動をおこして、首都を追放された事件があり、その話を元に語られているのではないか、ともいわれています。

そして最近になって、そもそもアステカには「ケツァルコアトル帰還の逸話」そのものが存在しておらず、スペイン人を神と誤解した話は、実は後の植民地時代にねつ造されたものらしいことが分かってきました。

そのため、この辺りの詳しい事情については、現在でも調査、研究が続けられています。

ケツァルコアトルの使者ケツァール

古代アステカおよびマヤでは、「ケツァール」はケツァルコアトルの使いとされていました。

ケツァールは輝きのあるエメラルドグリーンの羽と真っ赤な胸毛を持ち、黒、白、褐色の世界的に美しい鳥です。つぶらな黒い瞳が可愛さを醸し出していますが、臆病な性格をしています。

ケツァールは、熱帯雲霧林という高温で湿度の高い森に生息しており、「スモールアボカド」という木の実が大好物ですが、形がアボカドに似ていることからこのような名前がつけられています。

見ることが難しく、「幻の鳥」とされ、現地ではケツァールを見つけると幸運が訪れると言われています。

メキシコ南部からパナマにかけての山岳地帯の森林に生息していますが、中米では、翡翠に継いでケツァールの羽根が珍重され、かなりの数が乱獲された過去から、その数がめっきり減ってしまいました。

そのため、当時ケツァールの羽毛を身に着けられるのは、アステカ族の王家の人々だけの特権でした。光沢のある翡翠のような色をしたケツァールの羽毛は、金よりも価値があると考えられていました。

ケツァルコアトルのまとめ

ケツァルコアトルは古代メキシコ、アステカ神話の文化神、農耕神です。

さらに、メキシコ中央高原に限らず、メソアメリカ各地で最も広範囲に信仰された神の一人です。マヤ文明においては、「ククルカン」「クグマッツ」などと呼ばれていました。

そして様々な側面をもつ神として信仰されており、壮麗な神殿も建設されました。

今回は、アステカ神話の神「ケツァルコアトル」についてみてきましたが、そこに文明や神話を絡めて深く掘り下げてみていくと、さらに面白いのではないでしょうか。興味のある方は、下記の記事もご覧になってください。

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