天理教の歴史
天理教の歴史
世界や人間を創造したとされる親神の天理王命が、家事をきりもりしている普通の女性の体を通してより良い生き方を教え導こうとするところから、天理教の歴史が始まりました。
天理教の始まり
1838年江戸時代末期に教祖である中山みきが神(天理王命)のお告げを受け、身をもって困っている人の救済に当たりながら「お互い助け合って仲良く暮らすことの大事さ」を人々に説いて回ったのが天理教の始まりです。
出産はいつの世も命がけですが、教祖は江戸末期1854年に妊婦の安産を願って「をびや許し」を始めました。産前産後の調子が良いことから「をびや許し」が評判になり、天理教の信仰が全国へと広がっていきました。
明治・昭和期の天理教
明治から昭和初期にかけては、天理教の教えが日本全国へ最も浸透していった時期と考えられます。天理教が多くの人々に受け入れられると、多くの人が「生き神様」と教祖を慕って親里(ぢば)である現在の天理市へ戻ってくるようになりました。神社仏閣はそのことを快く思わず迫害や干渉したとされます。
教祖は1887年(明治20年)に現世から姿を消しますが、50年の間の数々の迫害や干渉に対し救済を行い教えを説きました。教祖が姿を消してからも魂は存命し変わらず救済し続けているとされ、現在の天理教へ引き継がれています。
現在の天理教
天理教は最初神道系新宗教の一つとして存在していましたが、現在は文化庁に諸派新宗教として登録されています。
天理教では教祖の魂がこの世に留まり精神的救いとなっていますが、実質的な指導者は中山家の直系(真柱)が当たっています。
教祖は親神天理王命の啓示を人々に言葉と文字、自らの救済行動で伝えましたが、現代ではそれに基づく「天理原典」と「天理教教典」が信仰のよりどころとなっています。
ポイント
- 救済活動を行っていた中山みきの妊婦の安産を願った「をびや許し」が評判になり、天理教は全国へ広まりました。明治から昭和初期の信者の数は500万人ともいわれています。
- 現在は中山家の直系(真柱)が、「天理原典」と「天理教教典」をよりどころとして実質に指導者として活動しています。


