武御雷神(タケミカヅチ)は、雷の神様です。
アマテラスの命を受けて、出雲の国譲りに登場し、最後の切り札として活躍します。この記事ではそんなタケミカヅチについて、物語やご利益、祀られている神社についてご紹介します。記事の最後ではタケミカヅチからのスピリチュアルメッセージもご紹介しますので、是非最後までご覧ください。
タケミカヅチとは?
イザナミ(伊邪那美神)がヒノカグツチ(火之迦具土神)を産んだ際に陰部に大やけどを負った物語は、神産みの神話の中でも有名な話です。
その際、イザナミにやけどを負わせて生まれたヒノカグツチをイザナギ(伊邪那岐大神)は十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り殺します。その十拳剣の根元からヒノカグツチの血から生まれた3柱がミカハヤヒ(甕速日神)、ヒハヤヒ(樋速日神)とタケミカヅチです。
タケミカヅチは、天照大御神の命を受け出雲の国譲りで大きな役割を果たします。また、神武東征の際には苦戦するカムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古命・後の神武天皇)を助けるためタカクラジノミコト(高倉下・アマノカグヤマ)の夢枕に立ち、みずからの刀を差しだすという形で登場します。
このときタカクラジノミコトからカムヤマトイワレビコに授けられた刀が、十拳剣、草薙剣とともに神代三剣に数えられ、後に霊剣として祀られるフツノミタマ(布都御霊)です。
剣と血から生まれ霊剣布都御霊を振るったタケミカヅチは祭神としての名を鹿島大明神といいます。同様の神格をもつフツヌシノカミ(経津主神)の祭神名が香取大明神で、ともに剣の神という一面をもつことから、剣道場の掛け軸にみられます。
軍事氏族となる物部氏が信仰したのが、香取神宮のフツヌシノカミであるのに対し、鹿島神宮のタケミカヅチを氏神としたのが、後に貴族の中心藤原氏の祖である中臣氏です。ともに天皇を守る有力豪族である朝臣というところから、葦原中津国平定だけでなく、武士の世界で重きを置かれる神であったことがわかります。
タケミカヅチの名前の由来
タケミカヅチは勇猛な軍神です。その名前に使われている「建」は勇ましい、「御」は神や神秘性を表し、「雷」はいかつい御霊、合わせると勇ましいいかつい神秘的な男神となります。また、ミカハヤヒノカミとともに生まれたことから、甕(みか・土器や陶器のカメ)カメの神を表す別称もみられます。
タケミカヅチの別称
タケミカヅチは、多くの別名、別称をもっています。
古事記では、
- 建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)
- 建御雷神(タケミカヅチノカミ)
- 建布津神(タケフツノカミ)
- 豊布津神(トヨフツノカミ)
として登場しています。
また、日本書紀では、
- 武甕槌(タケミカヅチ)
- 武甕雷男神(タケミカヅチノオノカミ)
と読みは同じですが、建と武など当てられている漢字の違いが特徴です。
ほかにも祭神名から、
- 鹿島神
- 鹿島大神
- 鹿島大明神
- 鹿島さま
という呼ばれ方をしているのも、タケミカヅチのことです。
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