黄金の夜明け団とは?イギリスの魔術結社
黄金の夜明け団とは
黄金の夜明け団とは、19世紀末のイギリスで創設され、近代魔術・オカルトの分野において多大な影響を与えた魔術結社です。
薔薇十字団から派生した英国薔薇十字協会のメンバーの内、ウィリアム・ウィン・ウェスコット、ウィリアム・ロバート・ウッドマン、マグレガー・メイザースによって創設され、3人は「3首領」の地位につきます。ウッドマンは黄金の夜明け団が創立してわずか3年でこの世を去るので、実質的な創設メンバーとしてはウェスコットとメイザース2人の名が知られています。
黄金の夜明け団では、カバラの「生命の樹」を基礎とした位階のシステムを取り入れています。メンバーは段階を踏んで教育を受け、上位の位階へと昇っていきます。最盛期には100名を超える団員が属する大きな組織へと成長していました。しかし、ウェスコットの退団と、その後のメイザースの独善的な言動が他の団員の反感を招き、ついには首領であるメイザースを追放する事態にまで発展してしまいます。徐々に広がっていった内部の亀裂が、やがて収拾のつかない分裂へと向かっていきます。
ポイント
- 黄金の夜明け団は、19世紀末にイギリスで創設された魔術結社
黄金の夜明け団は3つの結社に分裂した
黄金の夜明け団の分裂
創立メンバーがいなくなった黄金の夜明け団は、「曙の星」「聖黄金の夜明け団」「A∴O∴(アルファオメガ)」の3つの結社に分裂します。
メイザースの追放、派閥抗争と組織内が荒れに荒れた1901年、黄金の夜明け団の名をかたった詐欺事件が発生します。メイザースは追放される以前に、組織の機密文書をホロスという夫婦にだまし取られたことがありました。ホロス夫妻はこの文書を使い、黄金の夜明け団と名乗り各地で詐欺行為を働きます。ホロス夫妻は逮捕されますが、一貫して自分たちは黄金の夜明け団首領であると称していたため、黄金の夜明け団についての悪いうわさが世間に広まってしまいました。
この事件をきっかけに退団する者が続き、悪いうわさを払拭するためにも「曙の星」と組織名を変えることとし、心機一転活動していくことを決めました。しかし、この曙の星はまたしても内紛によって分裂し、独立したメンバーによって「聖黄金の夜明け団」が結成されます。
そして黄金の夜明け団を追放されたメイザースが新たに立ち上げた魔術結社が「A∴O∴」です。自分が作り上げた組織から追放されたメイザースですが、そこからさらに魔術の探求に励み、隠秘学の古文書の調査・研究、実践的な魔術の追及に突き進んでいきました。
こうして3結社に分かれ、それぞれの道を進んでいった元黄金の夜明け団ですが、1914年に「聖黄金の夜明け団」が、1923年頃には「曙の星」が、1940年頃には「A∴O∴」が自然消滅、あるいは事実上の組織崩壊への道をたどります。
公にされた秘儀
秘密の儀式が明らかに
A∴O∴が消滅する原因になったとされているのが、1930年から1940年にかけて出版された「黄金の夜明け(The Golden Dawn)」です。4巻からなるこの本では、黄金の夜明け団が秘伝としてきた儀式や教義の数々を明らかにしています。外部には秘密のうちに伝えられてきた儀式が世間に知られることとなり、秘教の色合いのより強かったA∴O∴は大ダメージを受け衰退へとつながってしまいました。
「黄金の夜明け」を執筆したフランシス・イスラエル・リガルディは、曙の星の支部に入門し瞬く間に頭角を現しますが、当時の上層部にはまともに儀式を行える者もいませんでした。リガルディはこの不甲斐ない上層部に落胆し、後世に魔術の知識を残すため本を出版する決心をします。この行為は秘密の誓いを破ったとしてリガルディは大変な非難を浴び、一時魔術界から離れることとなります。
しかし黄金の夜明けが出版されたことによって、今まで秘伝とされてきた魔術を誰でも知ることができるようになり、以後の魔術の発展に大きな役割を果たしました。
黄金の夜明け団の教義
黄金の夜明け団の教義とは
黄金の夜明け団の教義は、ユダヤ教の神秘主義思想である「カバラ」を中心に、西洋の秘教・錬金術・タロット・薔薇十字伝説・エジプトの密儀など各地に分散していた秘教や密儀といわれるものを集めひとつの体系とし、より実践的な魔術としてまとめました。
黄金の夜明け団に入門した者は、さまざまな秘教・密儀に関する知識を指導者たちから教えられます。位階ごとにもカリキュラムが用意され、瞑想法・カバラ・タロット・占星術・錬金術などについて、上位の位階になるほど多くの事柄を深く学んでいきます。
ポイント
- 黄金の夜明け団の教義の中心は、ユダヤ教の神秘主義思想「カバラ」
- 黄金の夜明け団は、各地の秘教をまとめて実践的な魔術をつくりあげた
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