将門塚 日本三大怨霊のパワースポット
日本三大怨霊とは菅原道真と平将門、崇徳天皇のことです。
この記事では、なぜ菅原道真は日本三大怨霊の一人として数えられるようになったのか、菅原道真の歴史と合わせて日本三大怨霊を紹介します。
怨霊というと恐ろしいイメージがありますが、それぞれ現在は供養され、神様として祀られています。
かつて怨霊だった神様も、自分の悲運の人生を知っている人がお参りにくれば、特別な力を授けてくださるはずです。
天神様こと菅原道真
学問の神 菅原道真こと天神様
まずは学問の神、天神様として有名な菅原道真です。
菅原道真は承和12年(845)、参議 菅原是善の三男として生まれました。
幼少期は、神童と呼ばれるほどに優秀でした。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用され寛平の治を支え、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめましたが、当時左大臣を務めていた藤原時平の嘘により大宰府へと左遷されたのです。
衣食もままならないほど厳しい生活を強いられながらも、皇室の安泰と国家の平安そして自身の身の潔白を神に祈りながら波乱万丈な生涯を終えました。
太宰府 天満宮
菅原道真の亡き後、藤原時平が39歳の若さで病死、醍醐天皇の皇子(時平の甥)が死去するなど菅原道真に関わる人の死が相次ぐなど様々な不幸が起こりました。そのため、菅原道真の怨念だといわれたのです。
その後朝廷でも無実が証明され、人から神様の御位に昇られた菅原道真は、大宰府天満宮に鎮まり、過去神童と呼ばれていたことから学問の神様や至誠の神様として人々の信仰を集めているのです。
菅原道真が祀られている天満宮のご利益は言わずともがな「学業」です。
丸の内の首塚 平将門
平将門
日本三大怨霊、二人目は平将門です。
平将門は、下総国常陸に広がった平一族の抗争から関東諸国を巻き込む争いへと進み、国府を襲撃して印鑰を奪い京都の朝廷 朱雀天皇に対抗し新皇を自称して東国の独立を宣言したことによって朝敵となります。
ですが、即位2か月足らずで藤原秀郷と平貞盛らによって討伐されました。(承平天慶の乱)
戦いに敗れた平将門は、現茨城県坂東市に埋葬されますが首級は平安京に運ばれ都大路の河原にさらされました。
そして平将門死後、14世紀初頭頃祟りといわれた疫病が流行りました。
そこで平将門を葬った墓『将門の首塚』の近くにあった神田明神が霊を供養し疫病が沈静化したことから1309年に平将門を祀ったのです。
一時は東国の王となった平将門を祀る将門塚のご利益は決断力や勝負運の向上です。