安井金比羅などで祀られている崇徳天皇
怨霊となった崇徳天皇
崇徳天皇は元永2年(1119年)生まれの、日本の第75代天皇です。
祖父は白河天皇で鳥羽上皇を父にもちますが、鳥羽上皇からは疎まれていたといいます。
即位後も兄弟である近衛天皇に譲位を迫られ、近衛天皇死後は、有力候補であった自身の息子を即位させようとしますが身に覚えのない噂を立てられ激怒した鳥羽上皇により弟の後白河が即位することになりました。
その後、鳥羽上皇は崩御しますが遺体と対面することすらさせてもらえませんでした。
また、『上皇左府同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す』という噂が流れ、軍に制圧されます。
ですが、崇徳天皇の元に側近が集まり保元の乱が起こります。
この戦いで敗北した崇徳天皇は讃岐へと流されます。
そして戦死者の供養と反省の証しとして写経を都へ送りますが、奉納を拒否され送り返されます。
これに激怒した崇徳天皇は舌を噛みきりその血で国を呪うことを記し亡くなりました。
あくまで罪人扱いだったため、朝廷は葬儀を行うこともせず国司によって葬礼が行われただけでした。
そして、崇徳天皇亡き後、後白河院や摂関家の近親者が亡くなったり安元の大火で平安京の3分の1が消失するなど不幸が相次ぎ精神的に追い詰められた後白河法皇は、崇徳天皇を鎮めるために罪人扱いを止め同時に配流され亡くなった藤原頼長も正一位太政大臣が追贈されます。
明治に入り、都も東京へと変わると崇徳院の御霊を京都へ帰還させ白峰神宮を創建します。全国の金比羅さんは崇徳天皇と関係が深く、以前アマテラスチャンネルで紹介した京都の縁切り神社「安井金比羅宮」も崇徳天皇を祀っています。
縁切り神社 安井金比羅神社
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
の歌を残した崇徳天皇を祀る神社のご利益は悪縁を断ち切り、良縁を結ぶことです。
いかがでしたか。
日本三大怨霊と呼ばれる三人にはこのような歴史があったのです。
人に陥れられ、裏切られ死後長い時を経てようやくその苦しみから解き放たれました。
そして、祟りだ怨霊だといわれていましたが神様へと変化し今もなお多くの人々から信仰を集めているのです。
歴史を知りお参りに行くことでより縁(えにし)を深めることができるでしょう。


