「石切劔箭神社」とは?
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)とは、でんぼの神様と呼ばれ親しまれている大阪にある神社です。
神様の偉大な力で腫れ物を治してくれると信じられており、現在では、腫れ物など腫瘍やがんといった病気を封じてくれるということで多くの人から厚く信仰されています。
石切劔箭神社には、本社と上之社があります。足利時代の終わりに、社殿などが焼失したため、不明なことが多いのですが、およそ2700年前(神武紀元2年)に上之社が先に創建されたのが、石切劔箭神社の始まりではないかといわれています。そして、後に創設された下之社が現在の本社となったそうです。
ご祭神
石切劔箭神社のご祭神は
- ニギハヤヒノミコト
- ウマシマデノミコト
です。もともとは、ニギヤハヤヒノミコトが上之社、ウマシデノミコトが下之社でお祀りされていましたが、現在は共に本社でお祀りされています。
ニギハヤヒノミコトは、アマテラスオオミカミの孫、天孫降臨で知られるニニギノミコトと兄弟であるとされており、ウマシマデノミコトは、ニギハヤヒノミコトの子とされています。
ご利益
石切劔箭神社のご利益は
- 開運
- 鎮魂祈願
- 病気平癒
- 難病封じ
- 無病息災
- 悪縁切り
- 起死回生
などです。この御利益は、ニギヤハヤヒノミコトは天孫降臨するときに、アマテラスオオミカミより授かった十種の神宝が持つ偉大な力の影響しているといえるのかもしれません。
「石切劔箭神社」の神話とは?
ニニギノミコトが九州地方に天孫降臨する前、ニギヤハヤヒノミコトが河内国河上の哮ヶ峰(現在の大阪府交野市あたり)に降り立ったとされています。
この地に降臨するとき、アマテラスオオミカミは、ニギヤハヤヒノミコトに十種の宝珠を渡します。十種の宝珠とは、
- 沖都鏡(おきつかがみ)
- 辺都鏡(へつかがみ)
- 八握剣(やつかのけん)
- 生玉(いくたま)
- 死返玉(まかるかえしのたま)
- 道返玉(ちがえしのたま)
- 蜂比礼(はちのひれ)
- 蛇比礼(へびのひれ)
- 足玉(たるたま)
- 品物比礼(くさぐさのもののひれ)
で、この神宝は「不道徳なものを懲らしめる」「生きる力を与える」「死者を蘇らせる」「虫を祓い、害があったときにはそれを癒す」力があるとされています。
このほか、フツノミタマの剣と天羽々矢も授かっています。
ニギヤハヤヒノミコトは、河地国河上の哮ヶ峰に降臨後、大和の地を治めるナガスネヒコと出会い、ナガスネヒコはニギヤハヤヒノミコトに遣えることになりました。
歳月を重ねニギヤハヤヒノミコトが亡くなり、子供のウマシマデノミコトがいたころ、ニニギノミコトの子孫である神武天皇が東征のため、九州地方、中国地方を制覇しながら大阪~大和の地までやってきます。
神武天皇は、ニギヤハヤヒノミコトが持っている天羽々矢と同じものを見せましたが、ナガスネヒコは神武天皇を認めず、1度目の東征のときには神武天皇の兄イツセノミコトに致命傷ともいえるほどの大きな傷を負わせます。
2度目に東征に訪れたときも認めなかったため、ウマシマデノミコトがナガスネヒコを殺してしまいます。そして、神武天皇が大和の地も治め日本の国が統一されたのです。