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「丙午」とは?「ひのえうま」の意味や性格に関する迷信、芸能人について紹介!

目次

「丙午」の女の子や性格に関する迷信とは?

丙午生まれの人の性格

午年は十二支の中でも生命力や行動力に抜きんでて、才能や冒険心にあふれています。同じ午年でも、生年の異なる甲午(きのえうま)、戊午(つちのえうま)、庚午(かのえうま)、壬午(みずのえうま)とは多少性格が異なります。

丙午は、神様が乗る神馬(かみうま)、天馬(じんめ)です。自尊心と理想が高いがんばり屋、気が強くて自分にも他人にも厳しい人です。きつい環境で自分を磨いて大成できますが、甘やかされた環境だとわがままでひとりよがりという短所が目立ち運気が下がります。

丙午と女の子の関係

丙午生まれの女性というと、世間では「気性が激しい女性」という先入観があります。丙午は十干・十二支で同じ火の属性が重なる、比和(ひわ)の関係であるため、その属性がプラスにもマイナスにも働くリスクがあります。

そのためか、丙午生まれは感情の起伏が激しい一面をもちます。しかし、どんな状況も受けいれられる芯の強さをもち、信頼するわずかな人と密につきあい、地に足のついた堅実な生き方をする、それが丙午の女性の基本的な性格です。

江戸時代の八百屋お七の物語とは?

江戸時代、丙午にからむ2つの迷信が広がりました。

1つは「丙午の年には火災が多い」という迷信です。江戸の町は火事に対する恐れが強いため、火の重なる干支は警戒されたのです。江戸時代260年間、丙午は1606年、1666年、1726年、1786年と巡りましたが、実際に大火が起きたのは最後の1846年だけでした。

もう1つは「丙生まれの女性は夫の運勢を圧倒して、その命を縮める」という迷信です。丙午には災難が起きるという負のイメージが変化したものと考えられますが、いつからどうして生まれた迷信か、発端ははっきりしません。

きっかけのひとつが、八百屋お七の事件です。

お七は八百屋市左衛門の娘でした。1683年の大火で本郷の宅を焼け出され、家族と共に正仙院に避難したとき、運命の人、生田庄之介と出会い、忍びあう仲になります。本郷に戻っても、庄之介と文のやりとりや逢瀬を重ねていたお七ですが、恋心をこじらせて「また火事が起これば庄之介さんと会えるのでは」と近所に放火をしてしまいます。

大事に至らなかったとはいえ、付け火は大罪です。温情をかけようとした奉行所でしたが、庄之介の名を伏せたまま作り話に終始するお七にはなすすべもなく、3月28日、お七は火あぶりの刑に処せられました。

『好色五人女』でお七の話が有名になる

お七の事件が人々の心に響いたのか、バージョンの異なる実録風の読み物が何冊も出版され、さらに井原西鶴の『好色五人女』を筆頭に、浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵が題材にしました。お七の生年が1666年と推定されたため、激情にかられて放火もいとわない丙午の女という恐ろしいイメージも浸透しました。

さらに桃山人による奇談集『絵本百物語』で、妖艶な容姿で夜ごと出没して男の精気や生き血をすする妖怪、飛縁魔(ひえんま)や縁障女(えんしょうじょ)を丙午の成れの果てとして描いたことで、丙午の女性に対する忌まわしいイメージに拍車をかけました。

このような時代背景により、1726年、1786年には丙午生まれの誕生を避ける目的で、無理な堕胎や嬰児(えいじ:赤ん坊)殺しが盛んになり、下剤による流産で命を落とす母親も続出しました。

1846年には大量の「丙午さとし文」が神社仏閣で公開されました。丙午生まれの書き手が多く、平穏な人生を送れるから安心するようにと親たちを慰めた啓蒙パンフレットです。それでも、極限にまでエスカレートした丙午ヒステリーを終息させることはできませんでした。

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天照大御神

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