弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)はヤマトタケルの妻とされる女神です。夫の東征を成功させるために身を捧げ、荒れる海を鎮めたとされる、神話の中でも悲しい物語のヒロインとされています。そんな弟橘比売命の神話やご利益、祀られている神社を紹介していきます。
弟橘比売命とは?
弟橘比売命は、神武天皇以前より大和の国に根付いていた穂積氏一族の忍山宿禰(タケオシヤマタリネ)の娘と、日本書紀には記されています。
后になった話はほぼ残っていませんが、日本武尊の后で稚武彦王をはじめ九男をもうけたといわれることから、仲睦まじい姿が浮かびます。
ただその愛の深さを伝えるのは、悲劇の東征の物語です。
このときの日本武尊の悲しみの嘆きは、今も地名としてなごりを残しています。
荒れた海の悲劇は浦賀水道から上総でおきましたが、日本武尊が弟橘比売命の死を「吾妻(我が妻よ…)」と嘆いた故事から、東国を「吾嬬(アヅマ)もしくは阿豆麻(アズマ)」と呼ぶようになったそうです。
また千葉県袖ケ浦は、弟橘比売命の着物が流れ着いたことが地名の由来とされています。現在でも千葉を中心に吾妻神社が多く点在するのは、日本武尊の悲しみがいかに深かったかを表しているようです。
弟橘比売命の名前の由来
橘は冬でも実をつける生命力の強い花です。
荒海の神を鎮めるほどの生命力をもった、弟橘比売命を表すにふさわしい植物だったのでしょう。
また橘は聖樹とされることから、荒海を鎮めた巫女の意味として用いられているようです。
弟橘比売命の別称
弟橘比売命は古事記での呼び名で、日本書紀では
- 弟橘媛(オトタチバナヒメ)
とされています。
また、橘媛として記されていることもあるようです。