弟橘比売命の物語
それでは、日本武尊とともに残る弟橘比売命の神話を解説していきましょう!
神話の登場する神や人というと架空だと思われがちですが、日本武尊と弟橘比売命の物語をもとにした地名や神社が道筋に残っていることに気づきます。
今も名前として残っていることに、日本最古のラブストーリーの主人公2人が神話の中だけでなく現実にいたのでは?…と、思わざるを得ません。
そう思わせる逸話の中から代表的なものを紹介していきます。
弟橘比売命を火中から救った日本武尊
日本武尊と弟橘比売命の夫婦は、東征の途中相模の国(古事記・日本書紀では駿河の国)へ入ります。
ここで地元の豪族に、草原の神を従わせたいので手伝ってほしいと頼まれます。
しかし、それは罠だったのです。
案内された野原に着くと、火をつけられてしまいます。
炎に囲まれる中、日本武尊は弟橘比売命をかばいつつ、叔母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から託された神剣天叢雲(アメノムラクモ)で周りの草をなぎ倒し、火打石で向かい火を焚いて難を逃れ、騙した豪族を成敗するのです。
この時効果を発揮したことから、天叢雲は草薙剣と呼ばれるようになり、今も皇室に伝わる三種の神器として大切にされています。
また草薙伝説の地は焼遣(やきづ)、現在の焼津の土地名の由来になったと伝わっています。
この逸話では弟橘比売命や自分の家臣を守るための行動として、日本武尊は当然のことをしたまでです。
ただ、このとき窮地を救われたことが、弟橘比売命の心に強く残ります。
そしてそれが、悲哀の物語につながっていくのです。
荒れ狂う海神を鎮めた弟橘比売命
難を逃れた日本武尊と弟橘比売命一行は、相模の国から上総へ渡るために送水海(現在の浦賀水道)に至ります。
ここで、日本武尊は「こんな小さな海は飛び上がってでも渡れる」と言い放ってしまいます。
それが海の神の怒りを買い、突如暴風が吹き荒れ船は岸につけなくなってしまうのです。
そのとき、日本武尊の東征の成功を願い、海神の怒りを鎮めるため弟橘比売命は絹の敷物の上に乗り海へと入っていきます。
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
海に飲まれる際、弟橘比売命が歌ったというこの和歌の意味は、
「相武の野が燃える火中で、私の身を案じて名を呼び続け、気遣ってくれたあなた」
という、夫である日本武尊への感謝を込めたものだったのです。
この弟橘比売命の想いが通じたのか、海は鎮まり船は無事に渡ることができたといいます。
無事に船でたどり着いた日本武尊ですが、妻を亡くした悲しみで海岸をさまよい歩いたそうです。
その日本武尊の想い「君不去(きみさらず」が、木更津の地名の由来といわれています。
さまよう日本武尊が7日後に海岸で見つけたのが、弟橘比売命の櫛です。
それを手に取った日本武尊は御陵を作り治めると心を立て直し進軍し、弟橘比売命の願い通りに山河の神々を平定したのです。
海へ身を捧げた弟橘比売命の物語の方が有名になっていますが、草薙伝説と対にすることでラブストーリーは完結します。
命を懸けて火の中から救ってくれた日本武尊の想いに、弟橘比売命も自らの身を挺することで応えた愛の神話は、2人の絆の物語だといえるのです。